ろう児に母語を学ぶ権利を! ―日本のろう教育の常識を変えた母の願い(後編)

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聴こえない=不幸か?

バイリンガル、というと手話が言語として考えられるのかを疑問に思う人もいるかもしれない。

手話は聞こえない人のためのコミュニケーション手段として自然発生した言語で、手や顔の表情、頭の動きなど体全体を使い複雑な語彙や文法を確立している。アメリカでは大学院レベルの議論を手話で行っているところもある。

この意味で、ろう者は手話を持つ少数民族ともいえる。少数がゆえに実際に彼らと接する機会も少なく、社会全体で見れば研究や理解は進みにくく、結果的に思い込みや憶測で物事を押し付けることにもつながりうるだろう。

==前編はこちら== 

※本記事は、前後編合わせて6000字ほどございます。最後までお読み頂けると幸いです。

img_4421ベトナム研修旅行の様子

次男が生まれた時、医者や周囲の人々から聞こえないなんて残念、かわいそうと言われ、自らも我が子を不幸だと思ったこともある。しかし、不幸とは何かを自問自答をする中で聞こえれば幸福なのか、と考えるようになった。

「聞こえていても自分を不幸だと感じる人は山ほどいる。最初から聞こえないのであれば、それは本人にとっては普通のことで、それを不幸と決めつけているのは周囲の私たちの方ではないか。そうであれば、聞こえなくても自分は幸せだと感じることが出来る人間に育てたい。その為に手話が必要なのであれば手話を学ばせたい。それが、手話教育という発想のスタート地点だった」

ろう児を持ったことが、未知なる世界の扉を開いた

玉田さんが障害者に対する社会の壁を初めて意識したのは、大学在学中に始めたアルバイトがきっかけだった。障害児にリハビリや新陳代謝の向上のため水泳を教えるアルバイトで、先輩から誘われ卒業まで続けた

場所は代々木の公営プールで、一般のお客さんも一緒だった。泳ぎ終わった後、脱衣所の隣にある温水のお風呂に入って体を温めるのだが、子ども達はその時間が大好きで、水をかけあって遊ぶこともある。その際に飛沫がかかると、あからさまに嫌な顔をする常連の女性がいた。

他の子ども達が遊んでいても何も反応しないのに、どうしてこの子たちには露骨な態度で接するのだろう、と初めて社会にある障害者への偏見や壁を感じた経験だった。

その後、大学を卒業しテレビ業界に就職。結婚して待望の第1子をもうけ、充実した日々を送っていた。仕事はラジオの情報キャスターからディレクターを経て、その後 フリーランスの放送作家となる。社会の最先端にいるという自負もあった。

そんな折、第2子の次男が誕生する。

「次男が聞こえる子どもだったら、上から目線の嫌な人間になっていたかもしれない」

共働きで経済的にも恵まれ、何不自由ない生活だった。その頃は、障害者が「かわいそう」「やってあげる」といった言葉を嫌がる理由があまり理解できていなかった。

次男が生まれて、良かれと思ってやることが本人にとっては嫌なことにもなると初めて気づくことができたし、これまでとは違う物事の見方を学ぶことができたように感じる。

「全国ろう児をもつ親の会」会長で、玉田さんと共に明晴学園設立に尽力した岡本みどりさんも同様に話す。

「ろう者である娘を通じて、世の中のたくさんのことを知るきっかけになった。色々なひとがいると気づけたし、豊かな人生になったと感謝している」

岡本さんは、玉田さんとの活動の日々を大変だけど楽しかったと語っており、「困難はあっても、目の前にある大きな壁をどう崩そう、と笑い飛ばすくらいに会のみんなは成長出来た」

img_4416

障害はどこにある?

玉田さんが明晴学園について講演をする際、必ず話す問いかけがある。

「ここに、4人います。車椅子の人、白杖を持った目の見えない人、耳の聞こえないろうの人、そしてあなた。障害は、誰のどこにあると思いますか?」

明晴学園の子ども達にとって、聞こえないこと、目の見えない人や生まれつき歩行困難な人にとって、その状況は彼らにとっての日常である。

もし、それらによって生活の不便や教育の不平等があるなら、障害を作っているのは社会の側にあるのかもしれない。例えば、日本語が分からない外国人観光客が日本語標識しかない場所で道に迷っていたとしても、日本語が出来ないのに来るのが悪いとは誰も言わないだろう。繁華街であれば外国語標識を設置するのは現在では配慮すべき当たり前のマナーだろう。

社会が障害を生み出しているなら、社会から障害を取り除くことは理論上可能だ。

なぜなら、社会を構成するのはそこに生きるひとりひとりであり、私達は自ら考え、何を行い何を行わないのかを選び取ることができるのだから。

「先ほど問いかけの答えは、“障害は、あなたの心の中にある”です。

歩けない人の足、目の見えない人の目、ろう者の耳、という特定の個人のどこかに障害があると考えているうちは、それらを完全に変えることは出来ず、障害をなくすことは難しい。

でも、障害は社会にある、と考えれば限りなくゼロに近づけることができる。社会を作るのは私達ひとりひとりで、心の価値観は変えることができる からです。

そしてその時には、自分たちの都合や考えで行動するのではなく、どうしてほしいかを当事者に聞いてほしい」

明晴学園中学部まで進んだ次男は、小学校から続けている大好きな野球で甲子園を目指し、都立の野球強豪校へ進学した。ろう高校には軟式野球しかなく、甲子園を目指すなら一般高校に行くしか道がなかったのだ。

聞こえない彼にとって、自分以外は聴者の環境にたった一人で飛び込むのはとても勇気のいることだったが、彼はろうだから諦める、のではなく自分が何をしたいかを考え、行動した。

現在では、大学に進学し授業にアルバイトにと忙しい日々を送っている。

%e5%ae%99%e3%81%8f%e3%82%93ポジションはキャッチャー

明晴学園設立によりバイリンガル教育という選択肢が増えたとはいえ、ろう児を取り巻く環境全体では課題はなくなったわけではないという。

例えば大学進学を目指す場合、ろう学校高等部 だけではなく進学率の高い一般高校も視野に入れたいが、一般高校では授業内容の情報保証が制度化されておらず、他の生徒達と比較して学習情報が不平等という問題もある。

玉田さんは今また、目の前の壁をどう崩そうかと、挑戦し続けている。

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前編はこちら

【参考文献】

「手話を生きる」斉藤道雄著 みすず書房

「小指のおかあさん」玉田さとみ著 ポプラ社

「ことばの力学―応用言語学への招待」白井恭弘著 岩波新書

「日本手話と日本語対応手話 間にある「深い谷」」木村晴美著 生活書院

「荻上チキの知的マガジン」http://synodos.jp/education/12917/2

厚生労働省 全国障害児・者実態調査(H18年)

 

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