ろう児に母語を学ぶ権利を! ―日本のろう教育の常識を変えた母の願い(前編)

その文化祭には、音がなかった。

体育館の舞台上では、次々と演劇の演目が披露される。幼稚部、小学部、そして中学部の各学年が、「十人十色」というテーマに沿って、準備してきた演目を発表している。

幼稚部は、タンポポになったつもりで開花の様子や綿毛が風に舞う様子を体全体で表現。中学部では、夏に研修で訪れたベトナムで感じたこと、学んだことを演劇化し、ダンスも交えながら発表した。

全部で2時間半。そこに、音はない。

==前編・後編で構成され6000字ほどございます。長文ですが、お読み頂けると嬉しいです。==

後編はこちら

これは、手話教育を行う私立明晴学園の、年に1度の文化祭「千神祭(せんかみさい)」の様子だ。

この学校の主たる言語は手話であり、手話を使えない者にとっては「音がない」ように思えるが、体育館中、手話による話し声、拍手、演劇のセリフが絶え間なく溢れ、実に騒々しい、はずだ。ここでは、日本語話者はマイノリティになる。

聞こえない子に音声で教えるなんて、どう考えてもリスクがある

明晴学園は、2008年品川区に設立された私立の特別支援ろう学校だ。幼稚部・小学部・中等部に58名(2016年4月時点)の子ども達が在籍し、週3 回乳児クラスも開催、25名の教員のうち、13名がろう者である。

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公立のろう学校教育との違いは、耳の聞こえない子、聞こえにくい子の母語である日本手話と、知識を養い社会に羽ばたくために必要な日本語の読み書きによる「バイリンガルろう教育」を行っている点だ。アメリカやヨーロッパではろう教育のひとつとして一般的な手法だが、日本では明晴学園でのみ受けることができる。

日本では、昭和8年より「聴覚口話法」という音声による教育を行い、手話そのものが禁じられてきた。手話を使うと先生から手を叩かれたり、使えないように後ろに手を縛られることも珍しくはなかったという。

しかし、20世紀初めまでは、日本のろう教育は手話で行われ、日本語の読み書きも十分であったという説もある。その一方、1880年世界ろう教育者会議で口話教育が推奨されたことを機に、日本でも浸透していくこととなった。

そんな中、ろう児は耳が聞こえないのだから、音声による教育よりも手話で教育を行う方が良いのではないか?そんな単純な疑問を持ち続け、手話教育導入を訴えてきたひとりの女性がいる。

明晴学園創設メンバーのひとり、玉田さとみさん(54歳)だ。

玉田さんは、フリーの放送作家を務める傍ら、明晴学園の理事及び、NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター事業統括ディレクターとして、ろう児を持つ親の相談や、日本手話と書記日本語(日本語の読み書き)の「バイリンガル」ろう教育の普及活動を行っている。自身も、ろう児を子どもに持つ母のひとりだ。

手話による教育の実現を目指して、2000年「全国ろう児を持つ親の会」を結成。同じく活動を行っていた20代ろう者たちによるフリースクール「龍の子学園」(後に、NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センターが運営)と共に、手話と書記日本語のバイリンガル教育の場作りに奔走した。2005年「構造改革特別区域」でろう児への手話教育が特別ニーズであると受託され、石原都知事(当時)や東京都教育庁、品川区とのおよそ2年の交渉の末、現在の場所に「龍の子学園」を引き継ぐ形で学校法人明晴学園が設立された。

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—玉田さとみさん。明晴学園の教室にて—

 「よく、明晴学園が設立できた一番の要因は何か、と聞かれます。でも、決定的なひとつなんてありません。本当にひとつひとつの小さな努力と、ありとあらゆる偶然、そして応援をしてくれた大勢の人々、その積み重ねによって実現できたのです」

玉田さんが、ろう教育に疑問をもったのは2000年のことだ。

1998年、玉田家に次男が生まれる。目がぱっちりとして大きく、眼差しがとても印象的な赤ちゃんだった。

2歳違いのお兄ちゃんとの子育ては、驚くような忙しさで、出産後1カ月で復帰した仕事も抱え、充実した楽しい毎日を送っていた。

転機は、次男1歳9カ月の時に訪れる。1歳健診で指摘されていた言葉の遅れから、聴覚検査を受けることとなった。結果は重度難聴。

「何も考えられなかった」

親族に耳の聞こえない人もおらず、なぜうちの子が?と答えの出ないことばかりを考え、「この子をどう育てたら良いのか、どんな人生を歩むことになるのか」想像がつかず泣きはらすばかりの日々だった。

聞こえない子どもの90%は聞こえる両親から生まれる

現在日本には、34万人の聴覚障害者がいるが、ろう児は1000人にひとりの割合で生まれる。 聴覚障害をもつ子ども達の90%は聴者の両親をもち、更にろう者の90%は聴者の子どもを出産する。つまり、聴者・ろう者関係なく誰にでも起こりうることなのだ。

先述した明晴学園の文化祭「千神祭」の名称はここから来ている。これは、第1期生達が自ら考えつけた名前だ。

ろう児は1000人にひとり、神様から選ばれて生まれ、意味がある存在だ。決して、耳が聞こえない「不幸な子ども、残念な子ども」ではない。そんな強い意志が込められている。

泣き続ける日々を過ごしながらも、少しずつ、ろうについて調べ始めた。マスコミという職業柄、知らないこと・分からないことは常に調べて疑問に思うことが習慣になっており、また当時の一般家庭には珍しく、インターネット接続ができるPCが自宅にあり環境も恵まれていた。

そして、ろう学校では昭和8年から国が手話を禁止しており、「聴覚口話法」で教育が行われていることを知る。

日本のろう教育に、手話という選択肢を

聴覚口話法は、耳の聞こえない子ども達が、出来る限り耳で音を聞けるように、自分の声で話せるように訓練する方法だ。聴力が残存している場合などには有効な方法だが、全てのろう児にとって等しく有効か、というと疑問も残る。

言葉の獲得が重要なのは、それが思考力の獲得に直結するからだ。人間は、言葉によって物事を深く考えることができる。その過程で、知識や知恵、論理性、社会性、自己アイデンティティなど生きるために必要な能力が磨かれる。

音声日本語の獲得が不十分だったり、不安が残る場合は、もうひとつの言語として、手話も学ぶことも重要になってくる。

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—授業では手話が見えやすいよう前に出て意見を発表することも多い—

テレビの情報番組という仕事で、情報最先端を伝えている自負があったが、次から次に知らないことが出てくる。先進国の日本なら、当たり前と思っていたことが、そうではない場合もあり、そのギャップに驚いた。そして、ギャップや疑問が出る度に、どうして?なぜ?を繰り返していった。

「それが出来たのは、言われたことを鵜吞みにしない、今まで仕事で培ってきた批判的リテラシーの精神が大きかったかもしれない。それに子どものことだからとても重要で、諦めることは出来なかった」

仕事や長男の子育てが、助けになった

それでも、最初から手話教育を推奨していたわけではない。

当時、品川ろう学校(現在は廃校)では入学前の乳児相談があり、2歳の次男を連れ、週に数回口話教育を受けさせていた。

教室では、お母さんの膝の上に子供たちが座って、先生の指導を大人しく見ている。しかし、次男はすぐに飽きてしまい、周りのおもちゃのところに行ってしまう。どうしてこの子だけは出来ないのかと、落ち込んだ。

はっとしたのは、長男が通っていた保育園の先生が “2歳児が動き回るのは当たり前”と教えてくれたからだ。

膝の上でじっとしているのは、その子がお母さんから離れる自信がないからで、安心していればその子の目の届く範囲なら、自由に動き回るものではないか。

ろう児を持つ親がろう学校へ相談に行くと、母親は状況によっては仕事を辞めるように勧められる。また、第2子を持つことを止められることもあるという。子育てのためとは言え、インターネットも今ほど普及しておらず、情報も限られる中、母親は子供をよくしたい一心で先生の言うことに依存し、それ以外が見えなくなってしまうこともある。

一方で、玉田さんは仕事柄や長男の子育てにより、様々なコミュニティーや人々との付き合いがあった。外の世界を知っていたために、他のろう児を持つ母親とは異なる視点を持つことが出来たのかもしれない。

言葉なんて何でも良い。成長する我が子にたくさんのことを今すぐ伝えたい

疑問は、口話法そのものにもあった。

例えば、「お風呂」という単語を教える時に、ゆっくり「お・ふ・ろ」と言って口の形を覚えさせる。次第に口形を見ただけで「お風呂」がわかるようになる。単語のひとつひとつをそうやって覚えていく。途方もない訓練で、長い言葉を見分けるのはとても難しい。

聴こえる長男が次男と同じ歳の時、「お風呂」や他の色々な単語を自然と覚えて話していた。

「お兄ちゃんと同じように、育てたかった。“同じように”というのは、“聞こえる子と同じ方法で”ではない。言葉はツール。その子に合う言葉なら手話でも何でも良い。私が言う“同じように”は中身の豊かさのこと。例えば、水をすくうための柄杓(ひしゃく)は木製でも鉄製でもなんでも良いのに、ろう学校は柄杓を作るために木を切ることから始めているようなもの。大切なのは柄杓ではなく、水をすくって溜めることなのに。」

インターネットの掲示板やろう者の集まりなどで、聴覚口話法が社会で通用しなかった体験談や、手話で育てることを推奨する意見を沢山聞いた。次男が重度難聴と診断されてから1年。手話と書記日本語のバイリンガルで育てることを夫婦で決意した。

後編に続く

【参考文献】

「手話を生きる」斉藤道雄著 みすず書房 

「小指のおかあさん」玉田さとみ著 ポプラ社

「ことばの力学―応用言語学への招待」白井恭弘著 岩波新書

「日本手話と日本語対応手話 間にある「深い谷」」木村晴美著 生活書院

「荻上チキの知的マガジン」http://synodos.jp/education/12917/2

厚生労働省 全国障害児・者実態調査(H18年)

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